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クリスマスのかざりつけをしました。

礼拝が終わり、ランチの後に みなさんとクリスマスの飾りつけをしました。
ぼくはあんまり役に立ちませんでしたが・・。


僕にとっては博多に来て初めてのクリスマス。
主の御降誕を待ち望むアドベントにはいりました。 クリスマスの恵みが豊かにありますように。


玄関です。
まだ途中ですが外から見るとこんな感じです。


玄関のクリスマスツリーです。

礼拝堂の入口にある台の上に置かれた家畜小屋

玄関のテーブルの上のクリスマスツリーです。

礼拝堂のクリスマスツリーです!!
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何ができたか、何を得たか、目的に向かってがんばれたか、ではなくて・・・

何ができたか、できなかったか、
何を得たか、得られなかったか、
目的にむかって、
がんばれたか、がんばれなかったか、

ついつい、ただそれだけで、
自分を評価し、他人を評価してしまいやすいものですが・・・

大切なことを思い出させてくれました。

今日、この文章を読むことができて良かったです。

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「生まれてくれてありがとう!」 (2007.08.29 Wednesday)

勇ちゃんの誕生パーティーをしました。
どんなパーティーも喜びです。
でも誕生パーティーは、他とは違う特別なお祝いだと思います。
なぜなら、生まれてきたこと自体を祝うのであり、
生まれてくれてありがとうをいうパーティーだからです。

多くのパーティーがあります。
入学祝い、卒業祝い、合格祝い・・・
多くは、何かを成し遂げたこと、何かを得たことをお祝いします。
また、趣は違いますが、
残念パーティー、サヨナラパティー、お疲れパーティーもあります。
これらも、そこには、
「よくがんばったね」という成し遂げたことがあるように思います。

勇矢の誕生日のパーティー。
勇矢は眠りについています。
彼の昨年の誕生日以降、彼が新しく成し遂げたことは何もありません。

卒園も、入学も、進級も、入賞も、何かの合格も。
そして「これをよくがんばったね」と言ってあげるものもありません。

でも今年も彼の誕生パーティーをしました。
それは僕たち家族が楽しみにし、
待ち望んでいるパーティーです。

勇ちゃん、生まれてくれてありがとう。
僕たちの家族でいてくれてありがとう。

最も大事なことに関するありがとうを、
今年も勇ちゃんに家族で言うことができました。
誕生パーティーは毎年することができるのです。

誕生日のパーティーが毎日できたらどんなに素晴らしいかしれません。
もちろん、誕生日のパーティーは毎日することはできません。
一年に一回だけです。
でも、毎日、自分の誕生を祝い、自分の周りの人の誕生を祝う。
そんな互いの誕生を祝う心をもって生きることができたら
どんなに素晴らしいかと思うのです。
何かができた、何かを得たかに関わらず、
誕生したこと自体、存在自体に根ざしたお祝いする。
そんなふうに互いに誕生を祝いあって毎日を過ごせたら・・・。
僕たちが忘れてしまいやすい祝福を絶えず思い出させてくれることでしょう…

だめでもだいじょうぶだよ

自分はダメな人間だと責めつづけ、 身動きできなくなったとき
ダメでも大丈夫だよという語りかけを
聴くことができたら
大きく息をつくことができると思います。


チャーチスクール(博多インターナショナルスクール)の感謝祭に・・・

先週、チャーチスクールの感謝祭に招かれ、
夫婦で出席させていただきました。

感謝祭の前には近くの施設を訪問し、
生徒さんたちが、
きよしこのよるを手話を交えて
英語と日本語で賛美し、
施設のイルミネーションが点灯されました。


感謝祭がはじまりました。
生徒さんたちの歌の発表、
ソロでうたう歌声は圧巻でした。
その後はおいしいご馳走に
楽しいゲーム、

心あたたまる時間を
神様への感謝の心をもちながら
過ごさせていただきました。

ありがとうございました。







秋の桜と書いてコスモス(秋桜)

コスモスと勇ちゃん。
「桜」つながりで関係が深い(こじつけですが・・・)。と書きました。

なぜか?というと、
長男の勇矢は桜の季節に召されたからです。

葬儀の翌日見た桜を忘れることができません。

桜と勇ちゃんに関してこんな記事がありました。

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『桜の季節』 (2005.06.23 Thursday)

「ひらちゃん」が勇矢についての証を
約1年前に書いてくださり、
2004年5月14日発行の詩音NO,28 に
掲載くださったことを思い出しました。

快く、了解してくれたのでここに掲載します。

僕たち夫婦にとっても、
勇矢と桜が深く結びついています。

僕自身もこの証で励まされました。
「ひらちゃん」、ありがとうございました。

以下、証です。

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サクラの咲く時期は、いつもユウウツになります、京都の春は穏やかでのほほんとしていて花見にはうってつけなのですが、なぜか私は紅葉の名所はあちこち巡ったのに、サクラの名所は京都に5年もいながらほとんど見に行っていません。
先日、円山公園のサクラを見に行ったとき、長澤先生がポツリと「桜を見ると勇矢を思い出すなあ」とおっしゃるのを聞いて、突然3年前の春を思い出しました。勇矢君はもういないんだなぁと思ったらアンニュイな気分になったものです。

 勇矢君との出会いは、99年の秋に私が京都に来た頃、長澤先生から聖書研究をしていただく中でことあるごとにお証をしていただいて知ったのが始まりでした。2回ほど市立病院の方にもお見舞いに行かせていただき、人工呼吸器をつけた勇矢君のそばで、勇矢君のお母さんの千鶴姉とお話をしたりしていました。ダウン症で生まれた時からずっと病院で過ごしていたので、長澤先生も伝道の働きをされながらベッドで寝たきりの勇矢君の看護をしていらっしゃいました。
 それでも長澤先生が勇矢君のことを話される時は、いつも誇らしげに語られるのが印象的でした。得意そうに愛しの息子の自慢をする姿は、健康な子を持つ父親と何の遜色もないのです。そして勇矢君を通して神様の栄光をあおぎみ、いやされると確信を持って待ち望み続ける信仰者の姿を目の当たりにし、キリスト者がどんなものであるかを教えられました。神様に信頼してゆだねている人というのは、こんなにも力強く希望に輝いているものなのか、と。…

コスモスとゆうちゃん。

秋の桜と書いて秋桜(コスモス)




コスモスの花がなんとなく気になるこの頃、 勇ちゃんに思いをよせる
コスモスと勇ちゃん。 「桜」つながりで関係が深い(こじつけだけど・・・)。
勇ちゃんのことを思い出し、 過去の記事を読み返す。

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息子

 僕たち夫婦の長男はダウン症児だった。

「だった」と過去形なのは、
彼がすでに天に召されたからである。

人間はいつ死ぬかわからない。
これは考えてみれば当たり前のことである。

でも、「自分のこどもは自分よりも後まで生きている」
これもぼくにとってはごく自然なことだった。

だから、彼の死は僕たちにとって
大きな衝撃をもたらした。
人生はその時間的長さで
はかれないものがある。

彼の人生は短かったが、
彼は多くの痛みを体験し、
多くの不自由さを体験し、
多くの人に祈られ、
多くの人の助けに支えら、
精一杯生きた。

彼の人生は多くの人に影響を与えた。
そして彼の死は今の僕を生かしている。

死は大きな意味をもつ。
彼はその死を通して、
キリストの十字架の意味を
僕に身近なものとしてくれた。

彼は、「もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです。」

このことばを僕に近づけてくれた。
キリストの死は今の僕を生かしているのだ。

息子(元気です!ながさわです!!)

息子(元気です!ながさわです!!jugem)

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レプトン青銅貨

今日のバイブルチャットの聖書箇所は
マルコの福音書12:35-44でした。

一人の貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を
ささげる出来事が記されている箇所です。

プレゼントとして頂いていたコインを
皆さんに見てもらえたらよかったのですが
引越しの後、どこにしまったか思い出せず、
見て頂けませんでした。

次回の集まりに持って行くつもりです。

このようなときのために使ってくださいと
プレゼントしていただきました。

ありがとうございます。