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6月, 2019の投稿を表示しています

人々はイエスにつまずいた。

1イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。 2安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。 3この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。( マルコの福音書6:1-3 ) <3この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。>(マルコの福音書6:3) 驚きが変化し躓きとなった。 イエス様の素晴らしい知恵 イエス様がなされた力あるわざ。 これらを見聞きした驚きが躓きにかわる。 これらの驚きがイエス様への信仰に進むのではなく その驚きが変化し躓きへと進んでいったことを興味深い。 その間にあったものは イエス様の成長過程を知っていたというこであった。 イエスをうけいれることの困難さと それができることの不思議と恵みを思う。 イエス様のことを知ることのできる一日としてくださいますように。

人々の驚き

6:1イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。 2安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。( マルコのの福音書 6:1−2 ) 人々の驚きが記されている イエス様の知恵と力あるわざのゆえであった。 イエス様は知恵あるお方であり 力あるわざをなさるお方であることがわかる。 この聖書箇所の前に記されているできごとがある。 マルコの福音書3:23-4:34にはイエス様の語られた教えが  マルコの福音書4:35-5:43にはイエス様の力あるわざが記されている。 イエス様の知恵ある言葉と 力あるわざを思い起こす。 今日も、イエス様がその知恵と力あるわざを 私たちの人生にあらわしてくださいますように。

しかし、御顔を隠されると・・・

7平穏なときには、申しました/「わたしはとこしえに揺らぐことがない」と。 8主よ、あなたが御旨によって/砦の山に立たせてくださったからです。しかし、御顔を隠されると/わたしはたちまち恐怖に陥りました。 9主よ、わたしはあなたを呼びます。主に憐れみを乞います。( 詩篇30:7−9 ) 詩人の平安は「主が味方である」「主がともにいてくださる」という確信ではないか。 彼は語る。 <しかし、御顔を隠されると/わたしはたちまち恐怖に陥りました。 >と。 主よ、あなたがわたしの味方であって、 わたしとともにいてくださることをいつも感じさせてくださいますように。 あなたの平安の中でこの地を歩むことができますように。

わたしは道であり、真理であり、命である。

6イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。( ヨハネの福音書14:6 ) 「わたしが道であり、真理であり、命である。」 イエス様はそのように言われた。 「わたしが真理である」 改めてすごい言葉だと思います。 真理を知りたいと求めていたとき 意表をつくというか 違う方向から来た言葉だと思った記憶があります。 イエス様のことを深く知りたいです。 また、真理を求めておられる方が イエス様に出会うことができますように。

大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

4:14 さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。  4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。  4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(ヘブル人への手紙4:14-16)(新改訳聖書) 恵みの御座に近づくようにと 私たちは招かれている。 折に適った助けが与えられるという約束とともに。 神様、 今、恵みの御座に近づくことができますように。 恐れることなく、大胆に。 私たちの弱さを知り、 とりなしてくださるイエス様を仰ぎ見ながら。 主よ、憐れみと恵みを豊かに注いでください。

壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった。

16主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった。 ( 列王記上 17:16新共同訳 ) 雨が降らず飢饉がおとずれた中、 預言者エリヤを烏に命じて養われた神様。 それだけでなく、やもめにも命じてエリヤを養われる。 しかも、そのやもめとその息子、そして家族も 神様によって養われた。 ≪16主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった。 ≫(列王記上 17:16新共同訳) 主が今日も私たちを養ってくださいますように。 私たちも主の前に誠実に歩むことができますように。 聖書箇所:列王記上 17:1−16

信頼しきって、真心から

19それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。 20イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。 21更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、 22心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。( ヘブル人への手紙10:19-21 ) 神様に近づくことができますように。 あなたはその血潮によって私たちを聖め、 あらゆる隔てを取り除いて下さいました。 今日、あなたの前に大胆に近づくことができますように。

彼らの前におののくな

17 あなたは腰に帯を締め/立って、彼らに語れ/わたしが命じることをすべて。彼らの前におののくな/わたし自身があなたを/彼らの前でおののかせることがないように。  18 わたしは今日、あなたをこの国全土に向けて/堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として/ユダの王やその高官たち/その祭司や国の民に立ち向かわせる。  19 彼らはあなたに戦いを挑むが/勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて、救い出すと/主は言われた。( エレミヤ書1:17−19 ) 神様に召し出されたエレミヤ。 神様は彼に告げる わたしが命ずることをすべて語れ。と。 そしておののくな。と。 おののく。 おびえる。 しかし、主の語りかけをいただき、 主が語られたことばにぎるとき 彼はおののきやおびえから免れたのではないか。 神様は約束をも与えておられる。 ≪彼らはあなたに戦いを挑むが/勝つことはできない。 わたしがあなたと共にいて、救い出すと/主は言われた。≫ 主よ、お語りください。 しもべは聞いております。 あなたがともにいてくださるという確信をもって 今日を歩むことができますように。