水の壁に守られた海の中の乾いた道

祈り会でメッセージをお語りしました。

2020年6月10日(水)祈り会

「水の壁に守られた海の中の乾いた道」
聖書箇所:出エジプト記14:21−22

聖書をお読みします。
≪モーセが手を海に向けて伸ばすと、主は一晩中、強い東風で海を押し戻し、海を乾いた地とされた。水は分かれた。イスラエルの子らは、海の真ん中の乾いた地面を進んで行った。水は彼らのために右も左も壁になった。≫(出エジプト記14:21−22)


神様は不思議なことをなさるお方です。
海の中に乾いた道をつくられました。
その道の両側は水でできた壁でした。

この道をイスラエルの民は歩き、
向こう岸へと渡ったのです。

彼らのおかれていた状況は、危機的な状況でした。
もうだめだという状況です。

後ろからエジプトの大軍勢が近づき、
死を覚悟しなければならなかったのです。

現実を目の当たりにしていたイスラエルの民は
モーセに不平をいいました。

「なぜ自分たちをこんなところに導いたのか」と。
彼らはもう諦めていたのです。

しかし神様は驚くべきことなさいました。
海に乾いた地をつくられたのです。
海が目の前からなくなったわけではありません。
海の水がなくなったわけでもありません。

そこには現実に海があり、海の水があったのです。

しかし、神様は強い東風によって水を分け、
海のただ中に乾いた地をつくられたのです。

イスラエルの民がみていた現実は全く変わりませんでした。
確かに海はあり、海の水はあったのです。
そして追っ手であるエジプト軍は追い迫っていました。

しかし、この現実の中に神様はきてくださいました。

信仰とは現実を無視することではありません。
神様は今私たちが生きている現実のただ中に入って来てくださって
助けを与えてくださるお方なのです。

現実をしっかりみて、現実を受け入れ、その上で、
それでも神様はその現実の中に介入くださり
助けを与えてくださると信じることができるのです。

「それでもなお、神様は私たちを助けてくださる」と
信じる事が出来るのです。

私はそれを「それでもなお、の信仰」と名付けています。

こういう問題がある。こういう不利な状況がある。
こういう動かしがたい現実がある。

これら全てが自分を追い込み、自分の行く道を閉ざしていたとしても、
「それでもなお、神にはおできになる」と神様に信頼するものでありたいと思います。

神様は水を壁として
海の中に乾いた道をつくることすらおできになるのです。
今日、私たちはどんな現実の中に閉じ込められているでしょうか
どんな問題で苦しんでいるでしょうか。
どんな不安を抱えているでしょうか。

それは確かに現実です。
しかし、その現実の中に神様は私たちの理解を超えた不思議な方法で、
助けを与えることのできるお方であることを信じたいと思います。

どんな現実があったとしても
「それでもなお」、神様には私たちを救い出すことがおできになると、
自らに語りかけるものでありたいと思います。

神様は海の中に乾いた道をつくり、民を助けてくださいました。
確かにこの驚くべき御業は神様のわざです。

しかし、私たちが忘れてはならないことがあります。
それはこの不思議なみ業のためにモーセが用いられたということです。

「モーセが手を海に向けて伸ばすと、」と聖書に記されています。

モーセが手を伸ばすと、主は海の中に乾いた道をつくられたのです。
そしてモーセが手を海に向けて伸ばすと、海が元の状態に戻りました。
もとに戻ったため、イスラエルの民を追いかけて
道を渡っていたエジプトの軍勢が滅んだのです。

神様はモーセという一人の人物を通して奇蹟をなさったのです。
モーセを通して彼らの現実の中に入ってこられたのです。

神様は私たちを通してこの世で神様のわざをなされるのです。
モーセのしたことは、起こった出来事と比べるならば、
些細なことのように思います。
「手を海に伸ばす」という事だけなのですから。

しかしこの些細なことによって
神様のわざが彼の生きている現実の中に現されたのです。
モーセは神様のみ言葉に従いました。

神様はモーセに言われました。
≪「あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に伸ばし、海を分けなさい。そうすれば、イスラエルの子らは海の真ん中の乾いた地面を行くことができる。」(出エジプト記 14:15−16)

彼は神様のことばを信じ、
みことばどおり、手を海に向けて伸ばしたのです。

多くの人々が恐れに包まれ、
神に不平を言っている中で、
モーセは神様の語りかけを聴き、
神様のことばに従ったのです。

彼は現実に目を背けたわけではなかったことでしょう。
追い迫る軍勢。目の前の海。そして絶望しているイスラエルの人々の姿。
それらをしっかりみていたことでしょう。
人々の不平とその理由も耳にしていました。

しかし、モーセが聴き従ったのは神様の言葉でした。
彼は神様の言葉を選んだのです。

神様は私たちを通してご自身のわざを
この世にあらわそうとしておられます。

そのために大きなことを私たちがしなければならないというわけではありません。
私たちが聖書を通して、神様の語りかけを聞き、
その御言葉を信じ受け入れるとき、
神様は驚くべきみ業を私たち生活のただ中で行ってくださることを信じたいと思います。

お祈りします。

※引用聖書:聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会





June 10, 2020 Prayer Meeting


♰説教題/Message Title      : 「水の壁に守られた海の中の乾いた道」                                                                        
♰ 聖書箇所/Key Scripture   :  聖書箇所:出エジプト記14:21−22
♰ 説教/Preaching    :   長澤聖志 牧師 Ps. Satoshi Nagasawa

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