コスモスと勇ちゃん。 「桜」つながりで関係が深い(こじつけですが・・・)。 と書きました。 なぜか?というと、 長男の勇矢は桜の季節に召されたからです。 葬儀の翌日見た桜を忘れることができません。 桜と勇ちゃんに関してこんな記事がありました。 ***************** 『桜の季節』 (2005.06.23 Thursday) 「ひらちゃん」が勇矢についての証を 約1年前に書いてくださり、 2004年5月14日発行の詩音NO,28 に 掲載くださったことを思い出しました。 快く、了解してくれたのでここに掲載します。 僕たち夫婦にとっても、 勇矢と桜が深く結びついています。 僕自身もこの証で励まされました。 「ひらちゃん」、ありがとうございました。 以下、証です。 ++++++++++++++++++++ サクラの咲く時期は、いつもユウウツになります、京都の春は穏やかでのほほんとしていて花見にはうってつけなのですが、なぜか私は紅葉の名所はあちこち巡ったのに、サクラの名所は京都に5年もいながらほとんど見に行っていません。 先日、円山公園のサクラを見に行ったとき、長澤先生がポツリと「桜を見ると勇矢を思い出すなあ」とおっしゃるのを聞いて、突然3年前の春を思い出しました。勇矢君はもういないんだなぁと思ったらアンニュイな気分になったものです。 勇矢君との出会いは、99年の秋に私が京都に来た頃、長澤先生から聖書研究をしていただく中でことあるごとにお証をしていただいて知ったのが始まりでした。2回ほど市立病院の方にもお見舞いに行かせていただき、人工呼吸器をつけた勇矢君のそばで、勇矢君のお母さんの千鶴姉とお話をしたりしていました。ダウン症で生まれた時からずっと病院で過ごしていたので、長澤先生も伝道の働きをされながらベッドで寝たきりの勇矢君の看護をしていらっしゃいました。 それでも長澤先生が勇矢君のことを話される時は、いつも誇らしげに語られるのが印象的でした。得意そうに愛しの息子の自慢をする姿は、健康な子を持つ父親と何の遜色もないのです。そして勇矢君を通して神様の栄光をあおぎみ、いやされると確信を持って待ち望み続ける信仰者の姿を目の当たりにし、キリスト者がどんなものであるかを教えられました。神様に信頼してゆだ...